2015年3月22日日曜日

古いトランクとの出会い

以前から探してた古いトランク。
だいたいアンティークトランクって2万円とかするんよね。。

そしたら高円寺のおじさんが一人でやってるような雑多なリサイクルショップの店先で4500円でみつける。

まけてもらい、3500円にしてもらった。食器も二つ買って4000円。

60年代くらいのだろうか。
シンプルだけど、いいものだなと気にっている。







人間マネキン

絶命展というのを、友人に勧められみてきた。

モデルさんがフツーに展示されてる。
長時間ポージングしてるから疲れてるからか、気取ってポーズしてるけど、薄〜くどこかお疲れ顔のモデルの皆様。
そんで、フツーに休憩とかいったり、観客と話してる様子が、境目が曖昧。

靴づれを直そうとするモデル。

ファッションの儚さみたいなものをみる。

あと、人間の情報量の多さ、に改めて驚く。展示されてることで、じっくりみれる。その人の人生みたいなのもわかってしまう感じ。楽しい。

人間の身体ありきのパフォーミングアーツ。
やっぱり面白いジャンルをやってると、凄く思った。

次回作も、シンプルに今と向き合うぞ。





















久々の渋谷

ここに違和感なく溶け込んでた自分を思い出す。

着飾って、着飾って。

だいぶ遠くまできたなとおもう。

ここは自分の原点だ。




2015年3月21日土曜日

宣言

私自身の中にドロドロした得体の知れない何かが年齢を重ねる毎に膨れ上がってるような気がしてます。昔は刹那的な切れ味のあるものだとしたら、今はもっとヌバーっとした、何か。パートナーや仲間がいて、どんどん幸せになればなるほど、反比例して膨れ上がっている。なんでだろう。きっと、アートがなくて、これが爆発したら、社会的な犯罪を犯すようなことになりかねないとおもってます。アートは、そんな私にとって自分の個性をありのままま肯定してくれる受け皿で、もしかしたら社会に微弱な電流を流せるかもしれない方法に感じてます。これがもしかしたらパンドラの箱なのかもしれない。だとしたら、勇気を持って適切な開け方を模索して、関わってくれる人たちと観客のみんなと一緒に考えていきたいと切におもいます。

抽象的な言の葉。

せめて歌おう。

忌まわしき過去を食べる怪獣、のその間で。
動かない机に向かって絵本をかく。
マドロム先に身体を動かすと、本当。
本当?

なぜ笑っているのですか。あなたが面白いことをいうから。どうせ花は散るなら、私たちは叫ぶことができる。

知らないふりはもうできない。

沈丁花の香りがする。

固いコンクリートに写り込んでいる世界の質感は揺らめき湿ってる。