2014年2月15日土曜日

駐車場

私は駐車場が嫌い。

最近、空き地はだいたい駐車場になる。

自分の足で歩まなくてもいい、人を殺すこともできる利便性のあるアレを金を払えば気軽にどこでもおいておける。

空き地は、想像力を育むのに。
余白は、想像力を育むのに。

と、いいながら、私は今日もアレに乗り、移動する。

アレの痕跡をつけられていない駐車場に私は救われる気持ちになって、フッと空虚感と共に身体が軽くなった気がした。



Where?2

わーここはスゥェーデンか!

翌日雨

もこもこでんがな

もりもりでんがな

Where?

ピーチ味

売り切れてる、、
味、想像つかん。
だから食べてみたいとおもう。

海の波

2014年2月10日月曜日

原点の場所

幼少期から通っていたこどものアトリエの展覧会に久々に顔をだす。

このアトリエは第2の両親ともいえるご夫婦が営んでる。
私は助手をやってたこともある。
2人とも画家。

原点の場所、って訪れると、自分が成長するごとにみえかたが変わる。

今回とくに、ガラリと印象が変わる。

素直に、25歳からこのアトリエを続けながら生きてきたこの2人がしてることは本当凄いことだとおもった。

毎回少し子供が大人にするような反抗的な気持ちを持っていたのだが、今回はなかった。
私も大人になってきたのだろうか。

私のこどもの頃から大学までの作品を何点か寄贈していて、今回たまたまその展示もあった。

こんな経験滅多にないから貴重。

過去の自分の作品にも色々ヒントをもらう。色彩がキレイでダイナミックな描きかた。今も通ずる自分。
これを引き立たせるために今は我慢して勉強じゃーー

OBのメンバーや先生たちと呑みに行けなかったのは残念だったけど、
また明日がんばれそうだー。

やなせたかしさんお別れ会2

やなせたかしさん、95歳の誕生日おめでとう!の会にいってきた。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140206/k10015059521000.html

当日の朝に知り、次の予定があり、30分しかいれなかったけど、きてほんとうによかった。

献花台さえ設けなかったお別れ会はやなせさんの『湿っぽくしたくない。』という言葉があったそう。

明るいイベント会場。

アンパンマンマーチややなせさんの歌声が流れる。

やなせさんの生き方や作り出すものに、幼少期から私は何度も何度も救われてきた。
生きる指針をくれました。

ここまで、現世に身体がなくなったって、意思が一人歩きしてて、生きてる感じする人ははじめてだけど、、
時代が巡ったとき、やなせさんがどう行動するのか、とかみれなくて残念だ。

彼の選択する行動で『諦めなければ夢は叶う』って教えてくれてたから、現世にはいなくて、やっぱりさびしい、、かも、、

流れてきたアンパンマンマーチを大きな声で一緒に歌う子供の声と、生い立ちの映像ブースでたくさんの人たちがその画面を夢中になってみてる姿、、

アンパンマンマーチの歌詞。
流さないで なみだ。

そんなこといったって涙がとまりませんよ、、

女一人号泣。

です。

『アンパンマンはやなせさん自身である』と、誰かがいってたけど、そうだなぁっておもう。

愛と勇気をありがとうございました。

目の前の仕事を一つ一つ一所懸命にこなし、チャレンジと好奇心を忘れないで、1つの列車から飛び降りることなく、続けていきます。

2014年2月3日月曜日

ハマっています。

塩味以外のフレーバーのなかでは、これが美味でした。
FamilyMart限定なのかしら

生コン

生のコンクリートって意味だろうか

めるてぃきっす

めるてぃきっすってさ、セクシーなお菓子の名前だよね。
お菓子の名前って、ダジャレとか工夫を凝らした名前が多いって話になる。

がんばれ

カーブス

近所にあるスポーツジム。
看板は楽しそうだけど、中身が一切みえないつくり。
 
わざとらしいくらい楽しそうな看板。
中身は違う世界へのトリップする扉だったりして、、
 
と、
いつも通るたび妄想。
 
 

休日×私の写真(視点)

誰も乗っていないチープな作りで笑っている。
こーいう乗り物とその雰囲気。
 
こーいうのに惹かれる。
 
 
なぜ惹かれるかというと、それをみつめてると、空間が動いていた頃が思い起こされて、時間が止まっている感覚になって明日は来ない気がするから、かもしれない。
 
明日がこないことが楽だから、かもしれない。
 
日々、明日こないことを祈りながら、やっぱりきてほしいっておもってる。
 
昔から植物になりたかった。
 
 
だけど、今は本当になろうとはおもわない。人間でいることに面白味を感じ始めてる。
矛盾のなかで生きる人間という複雑な生き物に生まれたことを、楽しむことを諦めたくはない。
 
 
私の写真(視点)には、誰かと一緒にいても、たとえ、大事な人だとしても、不在感がある。
写真撮ってた頃、昔から人間をヒューチャーして撮影することはあまりなかったなー
なんでだろ。
 
けっして悲観的ではない、かもしれない。
悲しさはなくて。
心はそのとき、フラットで落ち着いている。
不在感を感じるとき私たちは他人を意識し、生きている心地を再確認するのではないか。
人間は一人で生まれて、死んでく。
 
不在を感じるとき、
そのことを色濃く感じられて、生きてる心地がするのだとおもう。
 
 
 
 

休日×観覧車

 
日本一高い観覧車とやらも乗りました。ナメテタ。高所恐怖症ではないけど、怖かった、、