2013年11月15日金曜日

茜色の抽象画

今日の稽古は、いつもと違う臨時の稽古場。
はじめて向かう途中、府中駅から各駅停車に乗り換える。

充電のきれかかったスマホを起動し、新着メールをみるために視線を画面に落とす。

うそ、、

思考が止まる。

1車両に5人ほどしか乗っていないローカル線でよかった。

電車のなかで涙止まらない。
震えが止まらない。
身体に力が入らない。

フラフラした足取りと朦朧とした意識の中で、電車を降りたら、雨が降っていた。
郊外でとても空気が澄んでいる。一緒に浄化してくれてる優しい雨。
泣きながら稽古場に急ぐ。

大事な人が亡くなったという報告のメールだった。

私に踊る喜びを教えてくれたギタリスト。抽象画のようなメロディを紡ぎ空間を支配する。
私の作品に曲を提供してもらい 、作品発表中に意識を失うほど場面に没頭させてくれたメロディを紡いだ、 最初で最後の人。

彼は闘病生活をしていた。
約一年間くらいの闘病生活だったとのこと。
いつ発病したかは知らなかった。
私との共演の直後に病気がわかったのか、、

過酷な闘病生活の中でも、 キラキラ前向きに生きていた。
そんなに進行してたのか、、

今年6月、私は彼に闘病生活中と知りながらも、無理を承知でもう一度一緒に作品をつくりたいと伝えた。
闘病中でこの体調だと生演奏は難しいとのことで、作品用に作曲を依頼した。
体調と相談をしながらで時間はかかったけど、完成した数曲の音源を提供してくれた。
それをきいたとき、 彼のステージがあがってることを感じ、『今の私は踊れない。こんなステージまでいってない』とおもい、そのことを伝えた。
『是非いつかやりましょう!そのときはまた楽しいセッションしましょうね。』
といってくれた。
必ず、世に出すという約束をして。

もっと私がはやく生まれてたら、このときセッションできたのだろうか。いや、この年齢差だから出会えたのかも。とか、、色々考えたけど、やっぱり今はまだ悔しい。

彼の生き方と死は、私の絶賛稽古中の作品のテーマととても合致している。

稽古でお通夜は伺えない。

作品で、想いを伝えたい。

絶対いい作品にする。

自分に対する『絶対』はあるはずだ。

彼の提供してくれた音源を使える日はくるのだろうか。
10年20年かかってもいい。
必ず世にだしてやる。
私のダンスと共に。

稽古が始まり、上記のことを心に決めたとき、いつの間にか雨があがってて、茜色の抽象画のような空が私を包んでくれた。

抽象画のようなメロディを紡ぐ彼の音楽が聞こえた気がした。

美しく温かな。

ありがとう。

まだまだ夢のようだし、涙がでるけど、あなたのように後ろを振り返らず、前を向き、空を仰ぎます。

本当にありがとうございました。

心よりご冥福を申し上げます。